群馬県、桐生市その2 山上城跡公園
群馬
おーす!おいら栃木出身!
群馬県は桐生市にやってきたんだ。上毛鉄道の新里駅っちゅうところから、こ~んな景色ん中を歩いて向かった先は...。

じゃ~ん!こちら、“山上城跡公園”。ではさっそく入ってみるっぺよ~。

“山上城跡公園”を入るとすぐ、伝習館があって、そこに“山上城”に関する簡単な資料が置かれてたぞ。これは中々親切でね~の~。

公園の入り口から 三の丸、二の丸、本丸、北郭、笹郭と北へ一直線になってるんだなぁ。専門用語で“並郭構造”って言うらしいぞぉ。南北に650m、東西に220mの細長い形状だな。 あと公園の外になるけんども、南側に南郭があるようだぞ。
で、まずは三の丸ね。だだっ広い芝生になってて、公園とうたうだけあって、子供の喜びそうな遊具が設置してあるなぁ。

取り合えず滑り台は滑っとくかぁ。わひゃひゃひゃひゃ!ケツがこそばゆいぞう。

二の丸、本丸は雑木林になってて、ここにも遊具が設置されてるけんど、こっちはもう整備を放棄してて、遊べる状態じゃぁないなぁ~。

ここ“山上城”は、藤原秀郷の流れをくむ、山上五郎高綱が応永年間(1394~1428)に築城したっちゅうことになってるらしいなぁ~。この高綱の息子、高光は源頼朝に仕えとるらしいよ。
戦国時代末期には、武田勝頼に攻められて廃城になっちまったんだと。
1580年(天正8年)に、“御館の乱(おたてのらん)”で上杉景勝に味方した武田勝頼は、上杉景虎派の厩橋城(前橋城)を制圧、そのまま赤城山南麓の大胡城・山上城・伊勢崎城を攻略した。
“御館の乱”っちゅうのは、上杉謙信急死後の、まぁ家督争いだな。謙信の養子の上杉景勝と上杉景虎でおっぱじめた、越後の内乱だそうだなぁ。
ここ山上城も、それに巻き込まれたっちゅうことかね。
発掘調査ん時に発見された“第1号井戸”っちゅうのもあったぞ。深さ8m、口径4m、底径1mの規模なんだと。人為的に埋められた痕跡があるらしいんだども、出土品も色々とあったらしいよぉ~。

この井戸から南を眺めると、こんもり盛り上がった場所が見えるんだども、あれが資料にある南郭かねぇ、っちゅうわけで行ってみたよ~。
“元町集会場”って書いた看板の所を入ってくと、これまた小山があって、これが“物見台”だったみたいだねぇ。

お!ちゃんと上がれるでねぇの~。しかも降りる時は又滑り台かい。

上はこ~んな感じになってるぞ~。しかしよく残してあったねや~。
ここの真ん中の盛り上がりが気になるねぇ。何か大きい石がいくつも草の下に見えるんだけど。何かあったんだべか~?

この物見台からはまぁまぁの見晴らしだねぇ。

こっから、勝頼さんさ攻めて来たの見て、ひょえ~!ってなったんかねぇ。戦わないで逃げたっちゅう説もあるらしいなぁ。
まぁ資料もすくねーし、今回はこんなもんでかんべんしてなぁ~。
■山上城跡公園■
住所 : 群馬県桐生市新里町山上282
アクセス : 上毛鉄道新里駅から徒歩20分

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群馬県は桐生市にやってきたんだ。上毛鉄道の新里駅っちゅうところから、こ~んな景色ん中を歩いて向かった先は...。

じゃ~ん!こちら、“山上城跡公園”。ではさっそく入ってみるっぺよ~。

“山上城跡公園”を入るとすぐ、伝習館があって、そこに“山上城”に関する簡単な資料が置かれてたぞ。これは中々親切でね~の~。

公園の入り口から 三の丸、二の丸、本丸、北郭、笹郭と北へ一直線になってるんだなぁ。専門用語で“並郭構造”って言うらしいぞぉ。南北に650m、東西に220mの細長い形状だな。 あと公園の外になるけんども、南側に南郭があるようだぞ。
で、まずは三の丸ね。だだっ広い芝生になってて、公園とうたうだけあって、子供の喜びそうな遊具が設置してあるなぁ。

取り合えず滑り台は滑っとくかぁ。わひゃひゃひゃひゃ!ケツがこそばゆいぞう。

二の丸、本丸は雑木林になってて、ここにも遊具が設置されてるけんど、こっちはもう整備を放棄してて、遊べる状態じゃぁないなぁ~。



ここ“山上城”は、藤原秀郷の流れをくむ、山上五郎高綱が応永年間(1394~1428)に築城したっちゅうことになってるらしいなぁ~。この高綱の息子、高光は源頼朝に仕えとるらしいよ。
戦国時代末期には、武田勝頼に攻められて廃城になっちまったんだと。
1580年(天正8年)に、“御館の乱(おたてのらん)”で上杉景勝に味方した武田勝頼は、上杉景虎派の厩橋城(前橋城)を制圧、そのまま赤城山南麓の大胡城・山上城・伊勢崎城を攻略した。
“御館の乱”っちゅうのは、上杉謙信急死後の、まぁ家督争いだな。謙信の養子の上杉景勝と上杉景虎でおっぱじめた、越後の内乱だそうだなぁ。
ここ山上城も、それに巻き込まれたっちゅうことかね。
発掘調査ん時に発見された“第1号井戸”っちゅうのもあったぞ。深さ8m、口径4m、底径1mの規模なんだと。人為的に埋められた痕跡があるらしいんだども、出土品も色々とあったらしいよぉ~。

この井戸から南を眺めると、こんもり盛り上がった場所が見えるんだども、あれが資料にある南郭かねぇ、っちゅうわけで行ってみたよ~。
“元町集会場”って書いた看板の所を入ってくと、これまた小山があって、これが“物見台”だったみたいだねぇ。



お!ちゃんと上がれるでねぇの~。しかも降りる時は又滑り台かい。

上はこ~んな感じになってるぞ~。しかしよく残してあったねや~。
ここの真ん中の盛り上がりが気になるねぇ。何か大きい石がいくつも草の下に見えるんだけど。何かあったんだべか~?

この物見台からはまぁまぁの見晴らしだねぇ。

こっから、勝頼さんさ攻めて来たの見て、ひょえ~!ってなったんかねぇ。戦わないで逃げたっちゅう説もあるらしいなぁ。
まぁ資料もすくねーし、今回はこんなもんでかんべんしてなぁ~。
■山上城跡公園■
住所 : 群馬県桐生市新里町山上282
アクセス : 上毛鉄道新里駅から徒歩20分

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