京都府 伏見 その2 龍馬伝 寺田屋事件
京都
せっかくの京都だから、ホントだったら“龍馬”縁の地を周ろうと思っていたのに、まったく時間がありませんでした。
それでも根性で一箇所ぐらいは行ってやろうと、日の出と共に出発しました。
ちなみに本日のテキストは、「竜馬がゆく 第4巻 怒涛偏」の268ページ、“伏見寺田屋”の項です。

寺田屋と言えば、“寺田屋事件”。これはちょっとややこしくて、1862年に薩摩藩の内紛があったのも、1866年に“坂本龍馬”らを伏見奉行の捕り方が襲撃したのも、同じく“寺田屋事件”と呼ばれたりします。前者は“寺田屋騒動”というのが一般的でしょうか。
今回はもちろん、“坂本龍馬襲撃事件”の方。
この有名な場面を読んで思ったのは、捕り方のへなちょこさ。当然伝説の剣客である龍馬を恐怖し、ピストル攻撃に恐怖したのもあるのでしょうが、出動した50人余りの捕り方の中には、人数集めに臨時雇いの博徒や宿無しも多く含まれていたそうですね。

そしてこの薩摩絡みの2つの事件が起きた寺田屋は、薩摩藩士、そして龍馬の定宿だったんですね。
“寺田屋”は船宿でした。船旅の疲れを癒したり、次の船が出るまでの時間つぶしに使ったようです。当時はこのあたりに10数件の船宿があったようです。
寺田屋の前には“うじがわはりゅう”と言う川(水路)があります。
龍馬もきっとここで船を降りて、寺田屋にやってきたのでしょう。

1866年1月22日、薩長同盟の締結に立ちあった龍馬は、翌日23日に三吉慎蔵の待つ寺田屋に戻ってきます。
ここからは有名な場面。
風呂に入ろうとしていた素っ裸の“おりょう”さんが階段を駆け上がり、「捕り方でございます!」。
龍馬はピストルで、三吉慎蔵は槍で反撃。隙を見て逃走。
人の家を通り抜けたりして、途中の材木小屋に隠れる。龍馬は手を負傷し血が止まらない。三吉が伏見の薩摩藩邸に通報に走る。おりょうもすでに薩摩藩邸に駆け込んでいた。
というわけで、僕も時間が無いので“薩摩藩邸跡”に駆ける。(車だけど)
ここ伏見は、日本有数の酒処です。大手有名酒造が並びます。


“薩摩藩邸跡”の碑も“松山酒造株式会社”の入り口にありました。


篤姫が京都滞在時に宿泊した所でもあるようです。

おりょう、三吉の通報を受けた藩邸の留守居役、大山彦八と数名は船で龍馬を救出に向かいます。
この川を往復して龍馬を救出、伏見薩摩藩邸に収容したんですねぇ。

今回こういった史跡巡りをしたのは初めてだったので、“距離感”みたいなものが感じられて、非常に面白かったです。
真ん中の印が“寺田屋”、上が“伏見薩摩藩邸跡”です。
より大きな地図で 龍馬足跡 を表示
一番下の印ですが、これは“伏見港公園”です。

今では面影も有りませんが、この辺りは遡ること、伏見城(豊臣秀吉の頃)が築かれた頃から第2次大戦の頃まで淀川舟運の基地だったそうです。
江戸時代には、三十石舟などが往来し、港町として栄えていました。明治には、外輪船(蒸気船)が就航していたのだとか。
その後埋め立てられたのが、この“伏見港公園”近辺なのだそうです。

公園の前の道路を渡ると宇治川。これが淀川へと流れ込み、大阪へ出ます。竜馬もここを何往復もしたのでしょう。
今では船はないんでしょうねぇ~。宇治川派流の運河では、4月から12月上旬ごろまで十石舟や、三十石船が運行していて楽しめるようです。
しょうがないので大阪まで泳いで行きましょう。まだちょっと寒いけど...
ジャボ~ン!
■寺田屋■
住所 : 伏見区南浜町263
電話 : 075-622-0243
営業時間 : 10:00 - 15:40
アクセス : 京阪電車 中書島下車 徒歩約 5分
入場料 : 大人400円 大高中300円 小学生200円
■伏見薩摩藩邸跡■
住所 : 京都市伏見区東堺町472番地 松山酒造 入り口(東側)
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それでも根性で一箇所ぐらいは行ってやろうと、日の出と共に出発しました。
ちなみに本日のテキストは、「竜馬がゆく 第4巻 怒涛偏」の268ページ、“伏見寺田屋”の項です。

寺田屋と言えば、“寺田屋事件”。これはちょっとややこしくて、1862年に薩摩藩の内紛があったのも、1866年に“坂本龍馬”らを伏見奉行の捕り方が襲撃したのも、同じく“寺田屋事件”と呼ばれたりします。前者は“寺田屋騒動”というのが一般的でしょうか。
今回はもちろん、“坂本龍馬襲撃事件”の方。
この有名な場面を読んで思ったのは、捕り方のへなちょこさ。当然伝説の剣客である龍馬を恐怖し、ピストル攻撃に恐怖したのもあるのでしょうが、出動した50人余りの捕り方の中には、人数集めに臨時雇いの博徒や宿無しも多く含まれていたそうですね。

そしてこの薩摩絡みの2つの事件が起きた寺田屋は、薩摩藩士、そして龍馬の定宿だったんですね。
“寺田屋”は船宿でした。船旅の疲れを癒したり、次の船が出るまでの時間つぶしに使ったようです。当時はこのあたりに10数件の船宿があったようです。
寺田屋の前には“うじがわはりゅう”と言う川(水路)があります。
龍馬もきっとここで船を降りて、寺田屋にやってきたのでしょう。

1866年1月22日、薩長同盟の締結に立ちあった龍馬は、翌日23日に三吉慎蔵の待つ寺田屋に戻ってきます。
ここからは有名な場面。
風呂に入ろうとしていた素っ裸の“おりょう”さんが階段を駆け上がり、「捕り方でございます!」。
龍馬はピストルで、三吉慎蔵は槍で反撃。隙を見て逃走。
人の家を通り抜けたりして、途中の材木小屋に隠れる。龍馬は手を負傷し血が止まらない。三吉が伏見の薩摩藩邸に通報に走る。おりょうもすでに薩摩藩邸に駆け込んでいた。
というわけで、僕も時間が無いので“薩摩藩邸跡”に駆ける。(車だけど)
ここ伏見は、日本有数の酒処です。大手有名酒造が並びます。


“薩摩藩邸跡”の碑も“松山酒造株式会社”の入り口にありました。


篤姫が京都滞在時に宿泊した所でもあるようです。

おりょう、三吉の通報を受けた藩邸の留守居役、大山彦八と数名は船で龍馬を救出に向かいます。
この川を往復して龍馬を救出、伏見薩摩藩邸に収容したんですねぇ。

今回こういった史跡巡りをしたのは初めてだったので、“距離感”みたいなものが感じられて、非常に面白かったです。
真ん中の印が“寺田屋”、上が“伏見薩摩藩邸跡”です。
より大きな地図で 龍馬足跡 を表示
一番下の印ですが、これは“伏見港公園”です。

今では面影も有りませんが、この辺りは遡ること、伏見城(豊臣秀吉の頃)が築かれた頃から第2次大戦の頃まで淀川舟運の基地だったそうです。
江戸時代には、三十石舟などが往来し、港町として栄えていました。明治には、外輪船(蒸気船)が就航していたのだとか。
その後埋め立てられたのが、この“伏見港公園”近辺なのだそうです。

公園の前の道路を渡ると宇治川。これが淀川へと流れ込み、大阪へ出ます。竜馬もここを何往復もしたのでしょう。
今では船はないんでしょうねぇ~。宇治川派流の運河では、4月から12月上旬ごろまで十石舟や、三十石船が運行していて楽しめるようです。
しょうがないので大阪まで泳いで行きましょう。まだちょっと寒いけど...
ジャボ~ン!
■寺田屋■
住所 : 伏見区南浜町263
電話 : 075-622-0243
営業時間 : 10:00 - 15:40
アクセス : 京阪電車 中書島下車 徒歩約 5分
入場料 : 大人400円 大高中300円 小学生200円
■伏見薩摩藩邸跡■
住所 : 京都市伏見区東堺町472番地 松山酒造 入り口(東側)
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