青森県弘前市 その3 色々な建物②
青森
日本チームおしかったですねぇ~!試合は決して負けてなかったと思います。すごい惜しいシュートが何本かあったし。日本中を盛り上げてくれて、ありがとう!と言いたいです。
さて、青森県は弘前市の建物巡りの旅の続きでございます。
“青森銀行記念館”

青森県で最初の銀行(旧第五十九銀行)だそうです。昨日ご紹介した、“旧弘前市立図書館”と同じ“堀江佐吉”氏の設計施工だそうです。
明治35年(1902年)落成。
弘前には、教会も多く見ることが出来ます。函館なんかもそうですが、何故こんな北の町に、キリスト教が積極的に布教されたのでしょうか?
そう言えば青森には、“キリストの墓”なんていうのもあるようですね。
“日本聖公会 弘前昇天教会”

中道主義(カトリックとプロテスタントの架け橋)の教会。レンガが特徴的です。ゴシック様式。
大正9年(1920年)建設。
“カトリック弘前教会”

“堀江佐吉”氏の弟、“横山常吉”氏の建設。ロマネスク様式。
明治43年(1910年)建設。

ステンドグラスは、カナダの神父さんから送られたものだそうです。

リンゴ食うな!つったろうが!シャ~~~!!

教会の床は畳敷きでした。これは落ち着きますねぇ~。

この見事な祭壇は、慶応2年(1866年)!に製作されたものだそうです。ゴシック様式。

“日本キリスト教団 弘前教会”

明治8年(1875年)創立。東北最古のプロテスタント教会。
こちらは、“堀江佐吉”氏の、今度は4男、“斎藤伊三郎”が建設。みんな苗字が違うんですね。
しかしデザインも造りも、まったく古さを感じさせないのがすごい、と思いました。
パリのノートルダム大聖堂をモデルにしているそうです。

津軽塗りの説教台や籐製の道具が興味深い。

教会の後方は襖(ふすま)になってます。

2階部分は座敷。「お座敷も開いてますので~、どうぞ~。」居酒屋じゃありません。

洋式の建築をしつつも、日本のテイストが入っているところがとてもよかったです。
元々青森県は“弘前県”だったんですねぇ。明治4年に青森に県庁が移され、青森県になったそうです。
洋館の多さが、津軽地方の中心街である証明の様な気がしました。
フランス料理屋さんも多いそうで、まだまだ奥の深い街なのでした。
最後まで読んで頂きましてありがとうございます!
よろしければ、ポチッと応援お願い致します♪
↓ ↓

さて、青森県は弘前市の建物巡りの旅の続きでございます。
“青森銀行記念館”

青森県で最初の銀行(旧第五十九銀行)だそうです。昨日ご紹介した、“旧弘前市立図書館”と同じ“堀江佐吉”氏の設計施工だそうです。
明治35年(1902年)落成。
弘前には、教会も多く見ることが出来ます。函館なんかもそうですが、何故こんな北の町に、キリスト教が積極的に布教されたのでしょうか?
そう言えば青森には、“キリストの墓”なんていうのもあるようですね。
“日本聖公会 弘前昇天教会”

中道主義(カトリックとプロテスタントの架け橋)の教会。レンガが特徴的です。ゴシック様式。
大正9年(1920年)建設。
“カトリック弘前教会”

“堀江佐吉”氏の弟、“横山常吉”氏の建設。ロマネスク様式。
明治43年(1910年)建設。

ステンドグラスは、カナダの神父さんから送られたものだそうです。

リンゴ食うな!つったろうが!シャ~~~!!

教会の床は畳敷きでした。これは落ち着きますねぇ~。

この見事な祭壇は、慶応2年(1866年)!に製作されたものだそうです。ゴシック様式。

“日本キリスト教団 弘前教会”

明治8年(1875年)創立。東北最古のプロテスタント教会。
こちらは、“堀江佐吉”氏の、今度は4男、“斎藤伊三郎”が建設。みんな苗字が違うんですね。
しかしデザインも造りも、まったく古さを感じさせないのがすごい、と思いました。
パリのノートルダム大聖堂をモデルにしているそうです。

津軽塗りの説教台や籐製の道具が興味深い。

教会の後方は襖(ふすま)になってます。

2階部分は座敷。「お座敷も開いてますので~、どうぞ~。」居酒屋じゃありません。

洋式の建築をしつつも、日本のテイストが入っているところがとてもよかったです。
元々青森県は“弘前県”だったんですねぇ。明治4年に青森に県庁が移され、青森県になったそうです。
洋館の多さが、津軽地方の中心街である証明の様な気がしました。
フランス料理屋さんも多いそうで、まだまだ奥の深い街なのでした。
最後まで読んで頂きましてありがとうございます!
よろしければ、ポチッと応援お願い致します♪
↓ ↓

![]() | お中元にオススメ!夏の風物詩 水ようかん8個詰 () 東京羊羹本舗 商品詳細を見る |
スポンサーサイト