つまようじとラクガキ

沖縄
01 /21 2015
沖縄の街ではよくこんな落書きを目にする。

IMGP7782.jpg

“落書き”については以前にも触れた事がある。

最近の落書きの特長は、アルファベットだか何だか分からない文字の様なもので、つまりは一般の人に対しては何のメッセージ性も無いのである。
そして不思議なのは、この落書きのスタイルが北海道から沖縄まで同じに見えるところだ。どうやってこのスタイルは広まっていったのだろう?

この写真は沖縄の観光スポット、大繁華街の国際通りから路地を少し入った住宅街。昼間からほとんど人通りのない場所。

まとめると最近の落書きとは、あまり人目に付かない場所に、見ても何と書いてあるのか分からないメッセージ性の無いものを書いたもの、という事になる…。


大昔の暴走族なんぞが書く落書きはまだ分かり易かった。“◯◯参上!”といった様な、自己をアピールする物が多かったからだ。暴走族というもの自体、自分の居場所を見失った若者達が、爆音や落書きで“かまってくれよ〜!”と自身をアピールするサークルみたいな存在なのだ。
それでも誰も構ってくれないし、そのサークル自体も本当の居場所ではない事が分かっているから、更に行動が過激にエスカレートしていく。
それはまるで、赤ん坊が大声で泣く姿と似ている。

実に分かり易い!!


ところが、この最近の落書きや、更に最近世間を騒がせた“つまようじ事件”の若者は少し違う様に感じる。構ってくれアピールは同じ何だろうけど、表現手法が何とも嫌な気分になるのである。

それはもしかすると、僕自身が“どちらかと言うと”、暴走族ではなく、落書きやつまようじに近い人間だからかも知れないなぁ〜と思う。


だからこそ、つまようじ事件を知った時、僕はまず親に感謝した。愛情を注いで僕の居場所をずっと守り続けてくれた両親に。
そしてカミさんと子供達にあらためて感謝した。僕の帰る場所を常により良いものにしておいてくれる家族に。


つまようじは、マスコミや警察やネットに書き込みする人達に構って貰えて嬉しかっただろうなぁ〜。
でもそれは“快楽”でしかなく、“幸福”ではないのだ。“幸福”とは努力しての結果でしか手に入れる事は出来ない。落書きの為にスプレーを買いに行ったり、世間を混乱させるような動画を投稿するのは努力ではない。

“幸福”を知らない限り、人は居場所を手に入れ満足する事は出来ないのだと思う。

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コメント

非公開コメント

No title

この落書きは、確かに最近は誰も通らなそうなところに
時々通るとギョッ!って感じでありますね。
爪楊枝の少年、ニュースを見るたびになんだか嫌な気分になっておりました。
でも、紙一重なのかな・・とも思いました。
そう、周りの人の目や声に環境に・・めぐまれたなって思います。

おこりんぼ母ちゃんさん、おはようございます(^O^)/

お返事遅くなりました!すいませんm(_ _)m

自分の居場所が見付けられない、っていうのが一番辛いんですよね。
悶々として落書きしちゃう人と、しない人の差はなんなのかって言うと、愛された、または愛されているという実感があるかどうか、なのかなぁ〜って思います。

お金持ちで地位があったとしても、あまり関係無い。
だから地位のある人がたまに訳のわからないことをして逮捕されちゃったりするんですよね。
落書きよりタチの悪いイタズラが常に存在してたりします。

たびぱぱ

大きくなった子供達とは中々時間が合わなくなり、家族で出かけることも減ってきましたが、僕は相変わらず全国あちこちブラブラしています。

休日は今年(2016年1月)から始めたロードバイク(コーダーブルームFarna700-105)に乗って出かけてます。
東京湾一周したり、富士山登ったり、長距離走るのを楽しんでいます!